宮城県への災害医療派遣に参加して

順天堂大学医学部附属浦安病院

看護師 北島 奈緒

 

 今回の災害医療派遣に参加した期間は44日からの6日間で、主な活動場所は南三陸町に隣接した登米市内の後方支援病院でした。当院の派遣が始まった当初は、南三陸町の避難所で支援を行っていましたが、後方支援病院が支援を必要としているとの情報があり、医療本部から後方支援病院に行くように要請されました。

 派遣先では、主に1次〜2次救急体制の救急外来で患者の受け入れを行いました。

 私たちが派遣された時期は、常時救急が混み合っている状況ではなく、疲弊していた状態も落ち着き、病院への派遣が打ち切りになる可能性がありました。そのため、私たちは日々状況を災害医療本部に報告し、登米市内に避難された方々の避難所での医療ニーズがあるのか、その他に医療ニーズはないか、市役所の災害対策本部や医療本部などで情報収集を行い、その中で保健師の方から話を伺うことができました。

 熊本の医療チームがメンタルケアを中心に入っており、数か月間チーム内で申し送りがなされていくため、避難所での医療ニーズは満たされているとのことでした。海岸部の被災地付近で働く公務員や医療スタッフは、避難された方々を受け入れ、その後は市民と同じように医療や保健サービスを提供していくことも考えなくてはなりません。避難してきた方々を患者として受け入れる施設がマンパワー不足等で疲弊してしまうことも考えられ、私たちの体制のように、後方支援という形で細く長い支援が必要だと話されていました。

 派遣の最終日に、救急室の師長は「皆さんが支援に来てくれたことで、私たちスタッフはとても励まされました。夢のような期間でした。本当にありがとうございました」と涙ながらに話されました。

 長期にわたってライフラインが途絶えたり、震災直後は自宅に帰らず仕事を続けたりと、被災地の避難所での医療活動が注目される一方で、大きな被害の陰で大変な思いをしながら働いているスタッフもいるのだということは、実際に後方支援を行わなければわかりませんでした。また、避難された方々の医療ニーズに対するフォローやノロウイルスなどの感染症の発生の有無等を含め、情報を収集し医療本部に伝達していくことも大切であり、十分に組織化されていないところで自分たちにできることを探すこともよい経験となりました。

私たちの班はもう1つ大きな経験をしました。派遣中に、震度6の地震を体験したのです。3月に千葉県浦安で地震を体験した際は、院内にいたため指示を受け行動していましたが、この時の地震では自分たちで判断し行動をしなければなりませんでした。

かなり動揺はしましたが、被災地への派遣であり想定していたためか、全員が直ちに病院に戻ることを思い、気持ちを落ち着け冷静に行動できました。幸い大きな津波はなく、医療本部も問題ありませんでしたが、多数の患者さんが出ました。CPAと外傷患者が主で、朝まで洗浄と縫合を必要とする患者が次々と来院しました。病院の正面玄関には災害対策本部がおかれ、入院が必要な患者を院内の男性スタッフが担架で搬送する体制がスムーズに稼働していました。夜11時台の地震でしたが、次々にスタッフが救急室に集まり、小さな子供がいる人も皆駆けつけてきていました。この体制の背景には、宮城沖地震での経験があります。こちらの病院では、その時の災害対策シミュレーションも行われ、災害発生時の対応が個々に根付いているのです。

 今回、派遣に参加して、私たちは実際に震災を体験した方々と直に触れ合い、災害後にどのような医療ニーズがあるか、どのような部署と連携が必要となるか等を、実際に見ることができました。

 災害発生時にはあらゆる部署に混乱が生じるため、様々な視点で対策をたてる必要があり、再度災害が起きた時に、よりスムーズな対応ができるよう更に訓練していく必要があると感じました。

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日本看護協会災害支援ナースとして大船渡で活動

静岡県(沼津市立病院)
山田みどり

 東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
 今回、日本看護協会災害支援ナースとして、4月3日から6日までの4日間、岩手県立大船渡病院救命救急センターで支援活動を行いました。
 地元を出発する時には派遣場所は岩手県としか分かっていませんでしたので、派遣場所が医療機関、避難所いずれにも対応できる身支度をして参加しました。私の参加者した26班・27班には、静岡県・群馬県・千葉県・兵庫県・熊本県の災害支援ナース28名が集まりました。所属も大学(教員)、病棟、救命救急センター、NICU、ICU、在宅等々さまざまでした。
yamada.jpg 午前8時、東京原宿の日本看護協会JNAビルからバスで出発、一路宮城県仙台市まで移動。さらに仙台から、宮城県内各地、岩手県方面へ3台のバスに乗り換えて移動しました。私が派遣された岩手県立大船渡病院に到着したのは18時でした。
 岩手県立大船渡病院に派遣された災害支援ナースは4名。私はその中でリーダーを勤めました。メンバー3名のそれぞれの思いを大切に考え、勤務のローテーション、男性・女性メンバーの組み合わせをどうしたらよいか等を考え、割り振りました。また、リーダーには、メールで日本看護協会・宮城県看護協会へ定期的に連絡する役割もあり、貴重な体験になりました。
 私たちは救命救急センターでの任務となりました。8時30分から17時15分の日勤業務、16時45分から翌日9時までの夜勤業務に各々2名ずつ分かれて活動しました。
 私は夜勤を担当しました。夜間の救命救急センター業務は平常と変わらず、病院スタッフは2名。その2名も他部署からのリリーフ体制でした。私たち災害支援ナース2名の他に、大学病院や公立病院から派遣された看護師3名がすでに交替勤務をしており、夜間は7〜4名体制の勤務でした。
 私の勤務中に救命救急センターを受診された患者さんは発熱、肺炎、胃潰瘍、急性心筋梗塞、等でした。初対面同士のメンバーで、物品のある場所も十分把握できていない状況にもかかわらず、患者対応では無駄な動きはなく、お互い声を掛け合い、協力して援助ができ、そのため短時間で入院・帰宅へと関わることができました。
 受診者の誘導や診察の介助を安全に無駄なく、看護の技術を発揮するためには、常に声を出して業務にあたり、確認することと、周囲のメンバーの働きをよく見て、同じ動きをしないこと、が大切であることがわかりました。
 私たちは派遣隊のベストを着て活動したので、被災された皆さんからは「どこから来たのか?」と訊かれ、会話の糸口になりました。辛い中にも見せてくれた笑顔、避難所からの搬送では全身が冷えてしまっている患者さんの手を握った時に言われた「看護婦さんの手、温かい。ありがとう」の言葉が、今でも忘れられません。被災し大変な状況で生活している方々から、コミュニケーションを通して、胸があつくなるようないろいろな思いを教えられた気がしました。
 被災地や災害現場では、知識・技術はもちろん必要ですが、人と人との関わりやリーダーとしての行動、派遣チーム間の協力等、ふだん自分が務める病院では体得できない貴重な実践体験となりました。この派遣の支援活動では、疾患理解はもちろんですが、いろいろなことを経験し学ぶことが重要であり、今後さらに学びを深め、次なる成長に繋げていきたいと思います。
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がんばっぺ! 気仙沼!

姫路聖マリア病院 (兵庫県)

山本 佳子


 平成23513日から521日まで、宮城県気仙沼市中心部から東浜街道を約10km南下したところにある階上中学校体育館避難所で支援活動をさせていただきました。

 避難者数は518日現在約253人でした。介入者は、市職員である看護師・事務職員・自治体・兵庫県看護協会でした。

 私たちは、救護室での処置・医療班の診察介助・避難所の環境整備・避難者の健康相談・周囲にある避難所の巡回・支援物資の配布などにあたりました。下肢静脈瘤が悪化した人には弾性ストッキングを、肩こり・腰痛・膝痛を訴える人にはシップや軟膏類を、疲労感を訴える人にはビタミン剤を、感冒症状を訴える人には風邪薬を配布しました。

階上中学救護室IMG_1183.JPG

 救護室は、体育館倉庫を利用していました。体育用具の隙間に、オムツなどの支援物資がところせましと積み上げられていました。照明も暗く、換気も不十分、水道もない場所で、診察や処置をなさなければなりませんでした。

 避難者の方は、食事や環境面からも血圧や体重コントロールが困難な状態にあり、管理栄養士や保健師の介入、避難所には体重計や血圧計の設置が必要と感じました。私たちは、今後避難者が自立した生活を送れるように、継続的治療が必要な方に対しては、地元の医療機関への橋渡しを念頭に置いて活動しました。


shokuji2.jpg

 支援物資は、避難所により偏りがあり、必要な物資がどの避難所にも平等に届いているとは限らないのが現状でした。階上地区では、事前に調査を行い、避難所以外の住民にも平等に余ったオムツが配布できるように配慮されていました。それでも、余った支援物資の処分に費用と労力がかかるだろうなと感じました。

 避難所の環境は、プライバシーを守るのが難しいものでした。個々に合わせた温度・照明・湿度の調整はできません。西日が差すので暗幕を閉めると「暗くて縫物ができない」と声があがりました。それでも、基本的にはお互いを思いやり、譲り

sokuyoku.jpgあいながら生活をされており、私たちの活動中、争いごとや口論の場面には一度も遭遇しませんでした。

 救護室で働く市の看護師は、兵庫県看護協会からの支援をとても頼りにしてくださっていました。大切な家族が流され

、ご自身もまた被災者でした。震災からまともに休暇がとれていないとのことでしたが、本来の業務をしながら、救護室での当直もこなされ、避難者に対しては常に笑顔で対応されていました。とても強く、立派でした。私にはとても真似ることはできないと思いました。


 避難所から見える穏やかで美しい蒼い海が、311日、恐ろしい姿に変わ

蒼い海IMG_1143.JPG

とは想像できませんでした。思わず「ここから見える海は本当にきれいですね」と口をついてしまいました。「皮肉なことに、震災前は建物があって、この場所から海は見えなかったんですよ」という悲しい言葉が返ってきました。

 自宅と避難所とはあまりにもギャップがあり過ぎて、現実ではない気がしました。物が豊富にあることが当たり前の生活をしてきた避難所での活動は、私にとって、物の有難さと、人を思いやる看護の心を思い出させてくれるきっかけとなりました。今後は、医療資材が豊富にない在宅での看護を考慮した指導ができればと考えています。

 がんばっぺ! 気仙沼!

 わたしは、これからもずっと応援します。

 支援活動に参加するにあたり、ご協力くださった方々に、深く感謝いたします。

igiru2.jpg
 
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被災地で頑張り続けている看護の仲間を応援しよう!看護連盟プロジェクト

東日本大震災の被災地では多くの看護職が素晴らしい活躍をされています。そんな方々の声をご紹介し、また応援メッセージを全国のみなさんから届けようというプロジェクトです。

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